医療への疑問 ~創業までの物語③~

医療への疑問。創業の物語
目次

「これは、本当に“治療”なのか」  ~医療への疑問~

高校生になっても、久保の身体には不調がつきまとっていた。
群発頭痛の発作は以前よりも頻繁に起こり、左目の奥が焼けるように痛んだかと思えば、視界が揺れ、呼吸もままならなくなる。

発作はおよそ30分。だが、その30分は、世界が止まるほど長かった。
何もできず、ただ身を縮めて痛みが過ぎるのを待つ。
他人からは何も見えない。だから、誰にも伝わらない。
「またか…」という無力感と、「誰もわかってくれない」という孤独が、心を締めつけた。

だが、そんな中でも、将来を考えなければならない時期はやってくる。

友人たちが大学進学や就職へと舵を切る中で、久保は迷っていた。
「自分は、どう生きるのか」
ずっと曖昧だった未来が、急に現実味を帯びて迫ってきた。

ふと、脳裏に浮かんだのは、小学校5年のときに出会った整骨院の施術者の姿だった。
温かい手で、自分の痛みを“診てくれた”人。
あのとき芽生えた「自分も、誰かの役に立ちたい」という気持ちは、ずっと心の奥に残っていた。

その思いに背中を押され、久保は整骨の専門学校へ進むことを決めた。
選んだのは、片道2時間の夜間課程。
昼はアルバイトで生計を立てながら、夜に学校へ通う日々。
整骨院での勤務経験もなく、実技も知識もゼロからのスタートだったが、3年間、勉学に打ち込んだ。

———

そして21歳。
国家資格を取得し、治療家として現場に立ち始める。

自分の手で、誰かを癒やせる――
そう信じていた。いや、信じたかった。

衝撃の出会い ―「10年、通ってるけど治らないのよ」― ~医療への疑問~

働き始めてしばらく経ったある日のこと。
職場の近所に住む、70代の女性・Mさんが何気なく言った。

「ここに通って、もう10年になるのよ。
でも治りはしないわね。習慣みたいなもん。通うのが日課なの」

医療への疑問。創業の物語


久保は、その言葉に凍りついた。

「……え? 10年、通っているのに……治らない?」

その瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
自分が信じていた“治療”という言葉が、急に空虚に響いた。

彼女の口調は明るく、冗談のようだったが、久保の耳には重く、鋭く突き刺さった。

10年も通っても、改善しない。
それでも「通っている」理由が、「治るため」ではなく「日課だから」?

――それは、治療なのか?
――それとも、ただの慰めか?

それまで「人のために」という一心で走ってきた自分の道に、初めて濃い影が差した。
「もしかして、自分のしていることは…詐欺なんじゃないか」
「“治る”と信じて、通ってくれる人に対して、何もできていないんじゃないか」

そして、もうひとつ重くのしかかる現実。
自分の頭痛も、まだ治っていない。
施術の技術を学び、現場に立ってもなお、救われていない自分がそこにいた。

「このままでいいのか」
「本当に、これが“治す”ということなのか」

Mさんとのたった一度の会話は、久保の内側に深い問いを刻み込んだ。
その問いは、眠っていた疑念と痛みを呼び覚まし、彼の価値観を揺さぶった。

再び、学びの道へ ―「今度は、“内側”から変える」―  

迷いと葛藤の中で、それでも久保は立ち止まらなかった。

「もし、手で届かないものがあるのなら――別の方法を探そう」

23歳、久保は鍼灸の世界へと歩みを進める。
鍼なら、皮膚の奥――筋肉や神経、血流、その“内側”から変化を起こせるかもしれない。
これまで救えなかった自分自身を、Mさんのような患者を、変えられる可能性がある。

そう信じて、再び机に向かった。

それは、再出発だった。
新たな技術を学ぶというだけでなく、
「本当に治すとはどういうことか」を、自分自身に問い直す旅のはじまりだった。

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