「これは、本当に“治療”なのか」 ~医療への疑問~
高校生になっても、久保の身体には不調がつきまとっていた。
群発頭痛の発作は以前よりも頻繁に起こり、左目の奥が焼けるように痛んだかと思えば、視界が揺れ、呼吸もままならなくなる。
発作はおよそ30分。だが、その30分は、世界が止まるほど長かった。
何もできず、ただ身を縮めて痛みが過ぎるのを待つ。
他人からは何も見えない。だから、誰にも伝わらない。
「またか…」という無力感と、「誰もわかってくれない」という孤独が、心を締めつけた。
だが、そんな中でも、将来を考えなければならない時期はやってくる。
友人たちが大学進学や就職へと舵を切る中で、久保は迷っていた。
「自分は、どう生きるのか」
ずっと曖昧だった未来が、急に現実味を帯びて迫ってきた。
ふと、脳裏に浮かんだのは、小学校5年のときに出会った整骨院の施術者の姿だった。
温かい手で、自分の痛みを“診てくれた”人。
あのとき芽生えた「自分も、誰かの役に立ちたい」という気持ちは、ずっと心の奥に残っていた。
その思いに背中を押され、久保は整骨の専門学校へ進むことを決めた。
選んだのは、片道2時間の夜間課程。
昼はアルバイトで生計を立てながら、夜に学校へ通う日々。
整骨院での勤務経験もなく、実技も知識もゼロからのスタートだったが、3年間、勉学に打ち込んだ。
———
そして21歳。
国家資格を取得し、治療家として現場に立ち始める。
自分の手で、誰かを癒やせる――
そう信じていた。いや、信じたかった。
衝撃の出会い ―「10年、通ってるけど治らないのよ」― ~医療への疑問~
働き始めてしばらく経ったある日のこと。
職場の近所に住む、70代の女性・Mさんが何気なく言った。
「ここに通って、もう10年になるのよ。
でも治りはしないわね。習慣みたいなもん。通うのが日課なの」

久保は、その言葉に凍りついた。
「……え? 10年、通っているのに……治らない?」
その瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
自分が信じていた“治療”という言葉が、急に空虚に響いた。
彼女の口調は明るく、冗談のようだったが、久保の耳には重く、鋭く突き刺さった。
10年も通っても、改善しない。
それでも「通っている」理由が、「治るため」ではなく「日課だから」?
――それは、治療なのか?
――それとも、ただの慰めか?
それまで「人のために」という一心で走ってきた自分の道に、初めて濃い影が差した。
「もしかして、自分のしていることは…詐欺なんじゃないか」
「“治る”と信じて、通ってくれる人に対して、何もできていないんじゃないか」
そして、もうひとつ重くのしかかる現実。
自分の頭痛も、まだ治っていない。
施術の技術を学び、現場に立ってもなお、救われていない自分がそこにいた。
「このままでいいのか」
「本当に、これが“治す”ということなのか」
Mさんとのたった一度の会話は、久保の内側に深い問いを刻み込んだ。
その問いは、眠っていた疑念と痛みを呼び覚まし、彼の価値観を揺さぶった。
再び、学びの道へ ―「今度は、“内側”から変える」―
迷いと葛藤の中で、それでも久保は立ち止まらなかった。
「もし、手で届かないものがあるのなら――別の方法を探そう」
23歳、久保は鍼灸の世界へと歩みを進める。
鍼なら、皮膚の奥――筋肉や神経、血流、その“内側”から変化を起こせるかもしれない。
これまで救えなかった自分自身を、Mさんのような患者を、変えられる可能性がある。
そう信じて、再び机に向かった。
それは、再出発だった。
新たな技術を学ぶというだけでなく、
「本当に治すとはどういうことか」を、自分自身に問い直す旅のはじまりだった。