首が整った瞬間、世界が静かになった
分院という小さな舞台から
鍼灸学校を卒業した久保が次に進んだのは、個人経営の整骨院だった。
経営者は柔道整復師で、地域に根差した2つの院――本院と分院――を構えていた。
久保が配属されたのは、その分院だった。
スタッフ構成はいたってシンプル。施術を担当するのは久保ひとりで、受付担当の女性スタッフが2名という体制。
表向きは“分院”という肩書きだったが、実質的には久保ひとりに任された、小さな現場だった。

施術方法や方針は、本院のスタイルに従うことが原則だった。
しかし、少人数の現場であったこと、そして何より信頼されていたこともあって、現場にはある程度の裁量が与えられていた。
「自由にやっていいから、患者さんを喜ばせてほしい」
その一言が、久保の背中を押した。
再び、“自分のやり方”を試す機会が巡ってきたのだった。
ここからの日々は、まさに実践と試行錯誤の連続だった。
実践の中で磨かれていく感覚

遠藤さんから学んだカイロプラクティックの知識や、SOT(仙骨後頭骨テクニック)の繊細なアプローチ。
整骨、鍼灸、あん摩の技術――それらを自分の身体で試しながら組み合わせていく。
効果があったものだけを選び、患者に届ける。それが久保のポリシーだった。
特に、SOTの考え方は深く腑に落ちた。
構造と神経系の関係、脳脊髄液の循環、骨盤と頭蓋のつながり――
それらを意識した施術が、目の前の患者に“変化”をもたらすたびに、確かな手応えを感じていた。
「なんか今日は体が軽いです」
「よく眠れるようになりました」
施術後に患者がふと漏らすその一言一言が、久保にとっては生きた実証データだった。
臨床の中でしか得られない、かけがえのない答えがそこにあった。
やがてその積み重ねが口コミとなり、来院者数が急増していった。
1日の来院数が60名を超える日もあり、それがしばらく続いた。
朝から施術を始め、昼休みも取れずに働き続ける日々。
それでも、患者の表情がやわらぐ瞬間を見るたびに、不思議と疲労感は消えていった。
その分院はやがて“繁盛店”と呼ばれるようになった。
「この分院がここまで忙しくなったのは初めて」と本院のスタッフも驚いた。
何人もの分院長が入れ替わるなか、久保が作り上げた1日最高来院数60名の記録は、最後まで破られることはなかった。
それは、ささやかではあるが、確かな誇りであり、今では懐かしい思い出でもある。
そんな忙しくも充実したある日、運命のような瞬間が訪れた。
静かな奇跡と、新しい決意
閉院後、ふとした拍子に、自分の首の調整をセルフで行っていた。
数年前から繰り返していたセルフケアだったが、その日は何かが違った。
頚椎の深い部分が、わずかに“正しい位置”に戻った感覚があった。
そして次の瞬間――
頭痛が、消えていた。
左目の奥を襲う、嵐のような群発頭痛。
小学生の頃から苦しんできた、誰にも理解されなかった痛みが、まるで煙のようにスッと消えていた。
耳が澄み、視界が開けるような感覚。
静寂の中に、深く沈んでいくような安心感。
それは、どんな薬にも、どんな施術にも得られなかった境地だった。
もちろん、完治ではないことも、偶然かもしれないことも理解していた。
理論としても、まだ未完成だった。
だが、それでも――
「首を整えることで、頭痛が消える」
この体験は、久保にとってひとつの革命だった。
「これは、必ず誰かの役に立てる」
そう確信した瞬間、久保の中に治療家としての“軸”が立ち上がった。
次にやるべきことは明確だった。
この経験をベースに、もっと多くの人を救う方法を構築すること。
そしていつか、自分自身の院を持ち、信じる治療を届ける場所をつくること。
それはまだ遠く、かすかに揺れる灯火のようだったが、
確かに――道は見え始めていた。